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【虫明焼】黒井博史

– 略 歴 –

1974年 昭和49年生まれ
1998年 松山大学経済学部卒業
      山陽放送入社 営業部、報道部(記者)など、6年間勤務.
2005年 京都府立陶工高等技術専門校成形科修了
2006年 京都市産業技術研究所工業技術センター本科修了
      父・黒井千左(岡山県重要無形文化財保持者)のもとで作陶に入る
      岡山県美術展初出品初入選(以降、連続入選入賞)
2008年 岡山天満屋初個展
2009年 福山天満屋父子展、京王百貨店新宿店父子展
2010年 日本伝統工芸展初入選(以降11、13年入選)
      日本伝統工芸中国支部展初出品初入選(以降10~14年入選)
2012年 岡山県美術展山陽新聞社賞(最高賞)受賞
      山陽百貨店個展、岡山天満屋個展
2013年 倉敷天満屋個展
2014年 岡山県美術展県展特別賞受賞、福山天満屋父子展

岡山藩筆頭家老、伊木家の御庭焼

虫明は瀬戸内海の東部に位置し、波静かなリアス式海岸であるため、古代、中世には風待ち、潮待ちの港として、特に古くは船が交通の主流であったため、海上交通の至便な港町として、早くから開け、又、曙の日の出は特に美しく、古く歌人の間で詠まれ、特に平安の武将平忠盛の「虫明の迫門の曙見るおりぞ、都のことも忘れられにけり」という有名な歌も残り、現在もこの瀬戸の曙の日の出は多くの写真愛好家が撮りに来ているようです。
又、伊木家四代清兵衛忠親が元禄十二年新井白石に依頼して作った「虫明八景」という歌も残っています。

虫明焼の起源については、諸々色々な説があり未だはっきりとしたことは不明でありますが、伊木家六代忠興(豊後守)(一六九四~一七二〇)が御用船入所の瀬戸という所に築窯したのが最初ではないかと思います。
その後窯場も池の奥という所に移りこの窯には京都の名工仁阿弥道八の来窯により、雪笹の絵手鉢等もこの時代に作られたと思われる。
そして次に池の奥から立場(門口)という所に茶人としても有名な伊木家十四代忠澄(のち三猿斎と号す)が門口に窯を開き(一八四七)、開窯には京都より初代清風与平(一八〇三~一八六一)を招聘し、古梁付李朝写の茶器を焼き、特に文久三年に催された、裏千家少庵二百五十回忌のご遠忌に三猿斎は、少庵伝来の高麗三島角水指を造らせ、玄々斎に寄進し、これが玄々斎御家元のお好みの水指として有名である。
又、その後京都の名工宮川香山(真葛)の来窯により十二ケ月茶碗、五節旬茶碗という、形と絵の異なる茶碗、そして、雁の絵水指など茶人好みの風流な味のある物を多く残し、虫明の名声を全国にとどろかした人物でもある。

虫明焼は代々一家で家業を継いだものではなく、全て、子弟関係で引継がれ現代に受けつがれている窯である。
伊木家御庭焼から――宮川香山(真葛)――真葛の弟子である森香洲――香洲の弟子である横山香宝――香宝の弟子である黒井一楽(一九一四~一九九六)――一楽の弟子である黒井千左・黒井慶雲――千左の弟子である黒井博史という様に現在に継いでおります。
尚 祖父である黒井一楽は昭和五十五年岡山県重要無形文化財保持者の認定を受け、現代の名工にも認定されました。そして、父である黒井千左は平成二十三年岡山県重要無形文化財保持者の認定を受け、虫明焼の名声を高めてまいりました。

茶道界においては、表千家・裏千家・小堀遠州、各御家元の直書、そして箱書などしていただき茶道界においては大きく取り入れられております。現在は虫明焼の伝統の上に、新しい造形、感覚等を取り入れ、伝統を生かしながら、現代にマッチした作品を求めて作陶しています。

尚、昭和五十一年より脇窯として曙窯も築き、広く一般の方々からも愛用されています。
何卒ご愛陶の皆様方の御引立に依りまして、虫明焼のよさを更に発揚いたし、永久に伝えたく謹んでお願い申し上げます。

虫明焼 黒井 博史
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